ベジタリアンになると、心は穏やかに、そしてピースフルになるのでしょうか。
食事はある程度性格にも影響しているのかもしれない。
「食文化」に影響される「国民性」
科学的にどうの、ということよりも
民俗学的(そんなカッコいいもんじゃないって!)
な方向から解釈した私見にすぎないけれど。
にんにくやスパイスを使った料理 → 感情的でパッショネイトな国民性
濃厚なソースや味付けを好む国 → 感情面も濃厚で感受性豊かだったりする
比較的フラットな味の日本食 → 一見やはり、感情を表には表さず、無関心のようにさえ思えるけれど、その内側に秘めた繊細さ。微妙なダシ加減だったりね。
内気な日本人は、細やかな作業も得意とする。
辛いものよく食べる国の人 → やっぱ熱いよね!
こういうお国柄、国民性って、昔から食べてきた食事が影響しているのか、
それとも、その土地に根付いた地域のあり方や、
生き方や、代々受け継いできたものが、「食」に影響しているのか。
どっちもどっち。いろいろなことが絡み合って、これはこうです。
とは、言いがたいけれど。
「感情面」と「食事」は切っても切り離せない何かがあるような気がしています。
(なぜならロー率が上がるとPMSのイライラとかが楽になったりするから)
ではでは。
動物性食品を避けて、自然のものを好み
カラダがクリーンになってくると、
心は自然と平和に満ち溢れてくるのでしょうか。
答えは、
イエス。
だけど、自己満足で終わってしまっては。
ノーかもしれない。
難しい問題です。
昔、マクロビオティックのお店で働いていたとき、
(主に、カウンターでテイクアウトやデリバリーのお客さんのオーダーを取るのが仕事)
そのお店に来るお客さんというと・・・
一見、穏やかそうにみえるんだけど、でも。
実はとても神経質で難しい人が多い・・・というのが現実でした。
頑固で絶対ゆずりません!
って、ことが本当に多かったんです。。
辛い思いも・・・そんなにしてないけどね。
なかった訳でもない。
もちろん。
こちらは、対お客様なので、細心の注意をはらいますし
お客様は、最高のわがままを言える場所として来ていらっしゃる。
(そんな、高級レストランではありませんでしたが・・・)
だから、それは当たり前。
どんなわがままだって聞いてあげたい。
そういうわがままをきいてあげられる場を提供するのが
お仕事ですから!
でもね、例えばそうじゃない場所の場合。
ヴィーガン、ベジタリアン、ローフーディスト、マクロビアンの方々。
これがいろいろ困ったなぁと、思う場面も大いにあるハズ。
アメリカみたいにね、自己主張をするのが当たり前で
主張する側もされる側も、それを当たり前として受け止めてくれるお国だったらいいかもしれない。
特に日本はまだまだベジタリアンのステイタスは・・なかなか確立されていない。
和を重んじるお国柄、自分だけの〇〇。だなんて。
多分、主張してる自分が臆してしまうのも日本人の国民性?
何かひとつのことにこだわりだして、そのこだわりで自分自身をがんじがらめにして
周囲に対しても、嫌な空気を与えてしまう・・・ということだけは、避けたいし。
要は、ベジタリアンもノンベジタリアンもお互いの食習慣のチョイスを尊重しあって、
意見を述べたり、自分のスタイルを通す場合でもお互いストレスの無いよう
認め合い、合わせてもらった事への感謝、理解してくれたことへのお礼の態度を
示さないと、本当の意味でのピースフルな心とは言えないのかも知れない。
ベジタリアン食を通して、そういうメンタル面での他人への配慮、心配りを
学ぶことができたら、それこそ平和へとつながるかも。
そこに人間の成長が生まれるから。
ベジタリアンになって、マインドが研ぎ澄まされて、カラダが楽になって~
それは大変素晴らしいこと。
でも、それだけの自己満足で終わってはいけないような気がするし。
続けていけば自然に学んでいくことなのかもしれないけれど。
忘れていけないのは、他人への配慮、心配り
自分のスタイルを通す時の謙虚さ。
まわりとの協調性。
それを忘れないようにする部分にこそ
人間的な深みや人間らしさが根付いていくのかもしれない。
ピースな食事を通して、
ピースな心を育んでいきたいものです。
(と、思って記事を書いていたら
まいさんのブログからこんな記事→
あなたはあなた。わたしはわたし。 勝手にシンクロ~な気分になってしまいましたー。)
それは、努力なくして、生まれるものではないのかもしれませんね。
そんなこと書いておきながら
今のワタシも、
まだまだ発展途上ですけれどっっ
えらそうなことは言えませんね!!
失礼しましたっっ
読んでくれてありがとう!
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